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    池間島のスポット-大主神社

    大主神社※鳥居より先は住民の許可なく行くことができません

    大主神社 大主神社
    大主神社 大主神社

     宮古島の神社

    宮古島でも、本土と同様、あちらこちらで鳥居を見かけますが、境内に社殿がない、狛犬がいないなど本土とはちょっと違った様子がうかがえます。実は、最初から神社として建立されたのは、宮古島では仲筋の多良間神社と西里の宮古神社の二社のみです。多良間神社は明治35年(1902年)竣工です。宮古神社は大正14年(1925年)と新しい神社で、神社本庁に属する神社としては日本最南端です。これらの神社には鳥居、灯篭、神殿など、一般的な神社の施設が設けられています。これ以降、古くからある御嶽(うたき)にも鳥居や神殿が設けられるなど改装されるものが相次ぎ、名称も漲水神社(漲水御嶽)、阿津真間神社(アツママー御嶽)など、読み替えられることが増えました。つまり、後に神社とされたところのほとんどは、以前は御嶽と呼ばれていたところです。それらは琉球王国時代(16世紀頃から)以前の御嶽信仰を今でも色濃く残しています。これらの御嶽は神社と異なり、人々がむやみに立ち入ることは許されない聖地なのです。琉球の外から神道が入ってきたときには、社殿を建てるために木々を切り倒すなどは神意に背くものとして、強い抵抗がありました。ただ、どちらも山や岩、木を神体とする自然崇拝であるということから、ある程度は神社の施設も設けられることになったようです。面白いのは、宮古島などの御嶽が、社殿などを持たなかった時代の古神道と酷似しているという説を折口信夫が書き残していることです。歴史の一時期には、対立するもののように思われたこととなったものの、実は同じ源流を持つものかもしれない、ということです。 ここ大主神社(ウハルズ御嶽)は今も、御嶽としての多くの祭事が強く受け継がれていおり、地域住民の手で守り受け継がれている聖地です。

    池間民族

    池間島からは宮古列島各地に移住が行われましたが、これらの移住先では、今でもナナムイ信仰やミャークヅツ(宮古節)といった池間島の民俗・文化が守られています。そして、移住先の島民と池間島の住民のことを合わせて池間民族と呼んでいます。 池間島からの移住者集団は、移住先の宮古島各地では、自分達とは違う別のシマ人と見なされていたようです。池間民族は、沖縄的な祖先崇拝や家族制度がなく、そのことが周囲の人々に理解されるようになっていったようです。つまり池間人は、宮古人とは異なる民族ととらえられているようです。

    豊年祭「ミャークヅツ(宮古節)」

    旧暦8月か9月の、最初の甲午(きのえうま)の日に行われます。ミャークヅツは、夏に3日間行われる池間島最大の重要行事で、豊年完納の喜びを、島を挙げて祝います。55歳以上の男性が氏神をまつる元(ムトゥ)に集い、午後からは水浜広場でクイチャーを踊ります。元(ムトゥ)とは、元々池間島に人が住み始めた家という意味で、大主神社の先の岬の端部に今でも数件あります。池間から分かれた平良や伊良部島の住人もこの元(ムトゥ)に集います。 二日目には、この一年間に生まれた島の新生児が、その子の父親が属するムトゥの神々に報告され承認を受けます。ほとんどの親はミャークヅツに合わせて池間島に帰郷し、当日どうしても帰れない場合は、親類縁者に依頼して代理でムトゥへ届け出てもらったりもします。 普通は入ることが許されない大主神社は、この3日間だけ入ることが許されます。この時、大主神社は宮古中からの参詣客であふれます。 池間から分かれた、平良の西原、伊良部島の佐長浜にも大主御嶽(大主神社)があり、同様の行事が行われます。 年々ミャークヅツに参加する人数が減ってきているとのこと。本土など他の地域からの参加を歓迎しているそうです。皆さんもタイミングが合えば、あるいはこのタイミングを選んで、に合わせてぜひ参加してください。 ミャークは「この世」のことで「宮古」のことでもあります。海底の竜宮の上にある島、宮古島全体のことをも表わしています。 ○大主神社(おおぬし神社) 池間島の最高の御嶽がナナムイ御嶽(七森御嶽・ウハルズ御嶽・オハルズ御嶽・池間御嶽)です。そしてこれが大主神社です。この神社は、宮古島の御嶽のなかで最高の霊格にある御嶽であり、通常、人々はこの場所に入ることが許されていません。首里王府の役人でさえ入れませんでした。首里王府はこの状態を崩すため、宮古島の神人を聞得大君(きこえのおおきみ)以下の組織に組み入れようとするなど努力をしたものの、さまざまな抵抗に会い、結局は折れるしかありませんでした。今は一の鳥居横に「立ち入り禁止」の看板があり、入ってはいけないことを、ほとんどの人が気付きますが、数年前まではこのような看板もなく、本土の人は、神社ならだれでも自由に入れると思っていますから、知らずに入ってしまう人が多かったそうです。間違えて入ったときは、ツカサにお願いして謝りにいかなければいけないそうです。大主神社は、近世になって鳥居や参道を整備したものの、実際の中身は古来の御嶽がそのまま残されているのです。 大主の神は、かつて宮古本島の上野村に住んでいたのだが、神同士の戦いに敗れて池間島に逃れ、この御嶽の地に入って姿を消したとも伝えられています。池間島の住人と宮古島の住人の間に会った過去の戦いをあらわしているのかもしれません。 大主神社の神は宮古の人々の一生を司るということで知られています。生きている魂の長短を司るほか、病気やケガで命が危ないとき、魂に力付けをします。魂が迷っていれば、救ってくれるとも言います。 大主神社に直接ご挨拶できるのは、池間島民より選出された5人のツカサンマ(司)たちと、神人(カミンチュ)のユタだけです。神域に入場する場合は、鳥居の前で履物と靴下を取り、口・手・足を清めます。雨の日でも例外は許されません。また、参道の真ん中は神の通り道ですから参道の端を歩きます。ただし、ミャークヅツの3日間だけは例外として、一般の人も参拝が許されます。その時でも裸足になって参道の端を歩くことは変わりがありません。神域がどうなっているかということは、詳しく書き記すことは避けられていますが、人によりいろいろの記述がありますが、特に霊能者の場合には、「多くの人が参道の両側に並び、じっと見つめられ続けた」であるとか、「神域の森がいきなり大きな動物のようになり、激しい圧力に恐怖を覚えた」などと書き残しています。 通常、大主神社に入ることを許されない一般の人には、普段の祈る場所として別の御嶽が指定されています。そこは、宮古島の南、下地町にある下地神社(ツノジ御嶽)です。立派な鳥居をもつ神社です。ここには一般の方が多く訪れて祈りを捧げています。 ※ ツカサ(司)は、沖縄本島のノロに相当する神女です。大主神社では、池間島民より特別な方法で選出され、5人の司により祭祀集団を作っています。

    大主神社の由来

    祭神「十二方位の守護神」です。その由来は以下の通り。なんと処女懐胎です。しかも卵生神話でもあります。卵生神話は宮古の他の地域にもあり、興味深いところです。 『昔むかし、一人の若くて貧しい女がいました。その仕える主人は甚だ暴虐で、野山に求めた獲物が少ないようであれば彼女を痛く打ちのめしました。そんなある日のこと、仕事が思わしくなかったため、夜になっても帰らず、小森に入って寝ることにしました。翌朝、彼女が仕事にとりかかると、一羽の赤い鳥が天上から飛び来たって彼女の身辺にかしづいていました。それからというもの、驚くほどの獲物が手に入るようになりました。それからいく日かして、彼女は野原で急に産気づき、十二個の卵を生み落します。不思議に思いつつも彼女は穴を掘って、ていねいに卵を枯れ葉に包んで埋めておきました。幾日かして卵はかえり、十二人の子が生れます。子どもたちは「お母さん!」とすがりついて来ます。彼女は自らの産み落とした卵を思い、喜んでそこに庵を結んで住みつきました。すると神霊が常に下って、望みのものを何不足なく授けたので、やがて富貴栄耀し、子らは成人して十二方位の神々にならせ給いました。母は子方母天太(ニヌバンマテイダ)としてあがめられ、昇天して天の御国に到り給うたといいます。十二方位の神のうちで、もっとも霊験あらたかな神は、「オハルズウラセリクタメナフノ真主」とよばれ、大主御嶽にまつられ、宮古じゅうの人の一生をつかさどるようになりました。』 12柱の神を産み落とした女神の物語です。一部大和の神話を思わせるところもあり、どれほどのかかわりがあるのかと考えさせられます。宮古中の人々の命数をつかさどるという、恐ろしい力を持つ神だったということも、ここからわかります。

    ○観光客も入れる御嶽 宮古島には、観光客でも訪れることができる御嶽があります。それが漲水御嶽です。その時には注意するべき事項があります。 漲水御嶽を参拝するときは、 1. 鳥居の前で1礼します。 2. 参道の端を歩いて、拝所まで進み、門前で1礼します。 3. 拝所で手を合わせて拝みます。(柏手は打ちません) 4. 帰りに、再び鳥居の手前で(鳥居を出る前に) 拝所に向かって1礼します。 以上です。 宮古島に観光で訪れたこと、そして、わたくしの旅をお見守りくださいと伝えてください。 できれば、帰るときにもう一度ご挨拶ができれば、さらにいいですね。

    大主神社の行き方

    八千代バス 平良港 ⇔ 池間島方面(漁協前)行のバスに乗ります。始発6:30 以降約2時間ごとに発車 所要40分で520円 バス停 漁協前下車です。 バス停から池間食堂方向の手前を、左(海と反対側)へ曲がります。 すぐの突き当りを右。道なりに突き当たるまで歩きます。 堤防に突き当たりますので、左折します。あとは海沿いにまっすぐです。 バス停から徒歩8分ほど、約600mです。 ※ 途中で地元の人に道を尋ねると、「神社に足を踏み入れるんじゃないか」と心配されるので、その時には「鳥居の中には入りません」と、はっきり伝えてください。

    名称 池間島-大主神社
    所在地 沖縄県宮古島市平良池間45(MAPで見る
    アクセス 宮古空港から33分
    駐車場 なし
    食事(周辺) なし
    トイレ なし

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